文学部古文書室展示会
資料2:『天保職人歌合』江戸時代後期写
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『天保職人歌合』解説

展示資料2
 天保職人歌合 巻子 高さ36.1cm 江戸時代後期写

展示キャプション
 職人歌合は職人の生態を詠んだ狂歌風の歌を並べ、その優劣を論じたもの。「うなぎや」と「すしや」、 「こままはし(独楽回し)」と「ゐあひぬき(居合抜き)」等、25組50種の職人が絵入りで描かれている。
備後福山藩阿部家旧蔵。

解説
 職人歌合は職人の生態を捉えた狂歌風の和歌を歌合せの形式で並べ、その歌の優劣を論じたものである。 本資料での歌の題は「月」と「恋」であるが、これは中世最初の職人歌合『東北院職人尽歌合』(建保2年(1214))や 『鶴岡放生会』『七十一番』といった名を冠した代表的な職人歌合と同じであり、伝統的な形に倣っている。
 「家相見」と「地相み(見)」から始まる25番の取り組みが描かれ、「湯や」と「かミゆひ(髪結い)」、 「うなぎや」と「すしや」、「こままはし(独楽回し)」と「ゐあひぬき(居合抜き)」など、江戸後期の職人の姿を絵入りで見ることができる。 末尾の朱印「福山文庫」により、福山藩阿部家の旧蔵書であることがわかる。
 本資料では、その冒頭にこの歌合わせが行われるに至った経緯が記される。建保の頃から 「京さまの人々」によって職人歌合わせが行われてきたが、文化年代になりようやく江戸でも 浅草寺で歌合わせが行われた。神田明神の境内、人麻呂神社の近くで月を眺めていた ひとりの老人の発案に、居合わせた江戸の職人達が賛同し、古例にのっとり月と恋とを歌の 題として始めたものであるとされる。講師は講釈師が、読師「よみうり」が買って出て、発案者の 老人が皆に推されて判者となって薦められたことになっている。
 本資料に描かれている職人の様子も、『守貞謾稿』などに示されている、京・大坂と江戸職人の 差異の描写による江戸職人の特徴と合致し、各職人が二首づつ詠んだ歌もまた、万葉集 以来の古歌を本歌(証歌)としたものとなっているが、その中に巧みに「江戸」を詠み込んで いるものが少なくない。「江戸職人歌合」と題することもできる江戸末期の資料である。

歌合せ二十五番の内容は以下の通りである。
 1 家相見              地相美
 2 鉄砲はり             やりし(槍師)
 3 両替や              質屋
 4 湯や               かみゆひ(髪結)
 5 おけや(桶屋)          井戸ほり(掘)
 6 桐油屋              仕立や
 7 そばや              茶つけや
 8 たばこや             きせるや
 9 つき(舂・搗)や         こな(粉)や
 10 うなぎや             すしや
 11 なへかま(鍋釜)いかけ(鋳掛)  せと(瀬戸)物やきつき(焼接)
 12 蚊やうり             花こさうり
 13 富の札うり            おはなしうり
 14 らうそく(蝋燭)や        ちゃうちん(提灯)屋
 15 揚弓は(場)           やうし(楊枝)みせ
 16 たひ(足袋)や          雪踏や
 17 碁うち              将きさし
 18 眼かねとりかへ直し        江戸絵図年代記
 19 講釈し              はなしか
 20 きりみせ(切見世・切店)     地こく
 21 かとつけ(門附)         よみうり
 22 まめ蔵              女大夫
 23 印判のすみ            石うすのめきり
 24 こままはし            いあひぬき(居合抜)
 25 べつかうや(鼈甲屋)       かもじや(髢屋)

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天保職人歌合

翻刻
十番
  左    うなぎや
草枕旅のうなきのはる/\と江戸に今宵は月をみるらん
  右    すしや
月にうき雲はふくとも鮓桶のおしあゆかすな夜々の秋風
  左うなきの心をくみてよまれたるかなにとなく
  屠断の半なとおもひあわせられてあはれには
  侍れと江戸前をはつかはぬ家と人難し可
  申哉右拾遺物の名はし鷹のおき餌にせんと
  かまへたるおしあゆかすなねすみとるへく又千載に
  おもひかねあくかれ出て行道はあゆく草葉に
  露そこほるゝなど有てゆる/\の儀也風のすし
  桶のおしを動さんほとに吹侍らましかはいかてか
  月をもなかめ侍るへき左右各有得失彼此勝
  負難申尤可為持
夏ならはとりてはみなん恋やせはあなうなき也いかゝしてまし
今宵しも人をこはたと縁つれと猶まるすしのまろねしてけり
  左万葉集の夏やせによしといふ物そといふ
  歌を本歌にてよまれたりとみゆ恋やせには
  しるしもなくあなう也となけかれたる実にと聞し
  侍る歌合には万葉集なとの歌殊に優なる
  言葉とり出へき事とそふるくも申て侍れは
  あしうは侍るましきや右まるすしのまろねといひ
  人をこはたなと出所も不詳也されと例の歌合
  ののせなれは強て可難にあらねと証歌もたゝ
  しく侍れは鮓よりもうなきなむありまさり
  て侍るべき


参考
 『拾遺和歌集』巻第七 物名
   押し鮎 
   はしたかの招き餌にせんとかまへたるをしあゆかすな鼠取るべく

 『千載和歌集』巻第十七 雑歌中
   覺禅法師
   修行にまかりありきける時よめる
   思兼ねあくがれ出てゆく道はあゆぐ草葉に露ぞこぼるゝ

 『万葉集』巻十六、3853 大伴家伴
  石麻呂に吾れもの申す夏痩せによしといふものぞ鰻とり食せ

 『近世風俗志(守貞謾稿)』(一) 岩波文庫版
  (京坂は)鰻一種の店これなし。万川魚・鯉、鮒類を兼ね、今は海魚をも専ら交へ調す。江戸は専ら鰻一種の店のみにて、他物を兼ねず、他魚を調せず。
  古は鰻蒲焼と云ふ名のあるは、鰻を筒ぎりにして串にさし焼きしなり。形蒲穂に似たる故の名なり。今世も三都とも名は蒲焼と称すれども、その製異にして名に合はず。


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