文学部古文書室展示会
資料5:江州甲賀郡岩室村御検地帳
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江州甲賀郡岩室村御検地帳 解説

展示資料5
 江州甲賀郡岩室村御検地帳 竪帳 30.0×22.4p 慶長7年9月

展示キャプション
 検地帳は、土地一筆毎の所在、田・畑・屋敷の別、等級、面積、名請人を順に記し、最後に村全体の集計が記される。 検地帳で名請人として明記された者が年貢や諸役を負担した。村の石高、貢租の負担者を確定した基礎台帳の一つである。

解説
 全国規模での検地は、豊臣秀吉による太閤検地が始めであったことは有名である。太閤検地では、土地の丈量と「石高」によって生産力を把握し、 畑や屋敷地なども同様に換算した。のちに江戸幕府もこれを引き継いで検地をおこない、村ごとに検地帳を作成した。 元禄期(1688〜1704)頃までに数度の検地を実施することで、近世村落支配の基礎が固められた。 検地帳には、耕地一筆ごとに、地名・面積・等級(上・中・下・下々など)・名請人などが記載される。
 展示の頁にも見られるように、田地だけでなく畠も同様に記載されている。また、史料中にみられる「永荒」という言葉は、 耕作不能な土地について無期限に年貢を免除することを意味する。検地帳に名請人として記載されると、その土地の保有者として確定されると同時に、貢租負担義務を負うこととなった。
 江戸時代を通じて、以前の検地結果を修正するために丈量のみをおこなう簡易的な検地も行われたが、 検地帳のすべての記載事項を改めるような大々的な検地も行われることがあった。品種改良・新田開発・肥料などの理由によって、 耕地面積や収穫高が増加することがあるため、検地を実施しないと検地帳の記載内容と実態とが大きくかけ離れてしまうためである。

参考
 安藤博『徳川幕府縣治要略』柏書房、1965
 荒居英次『近世の古文書』小宮山書店、1969

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江州甲賀郡岩室村御検地帳

翻刻
中田  同     六畝          甚五郎
上田  西の辺  壱反三畝廿歩    徳右衛門
 田  同     弐畝 永荒(印)   太二郎
上々田 同     壱反八畝一歩    与蔵
上田  同     壱反三畝四歩    与五郎
上田  同     三畝廿二歩     同人
上々田 同     壱反七畝十一歩   勘三郎
中畠  同     六畝六歩      五郎右衛門
 畠  同     三畝七歩 永荒(印)道善
 畠  同    壱畝  永荒(印) 同人
上田  同    壱反三畝六歩    右衛門二郎
上田  同    六畝二十四歩    同人


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