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展示資料6 武蔵国輿地全圖 絵図 36.9×52.5p 江戸時代 (NP02519) 展示キャプション 国絵図を元に作成され、市販された折本形式の絵図。郡境は黒の点線で明示し、黒色の楕円の中に村名が記されている。他に城や陣屋・駅名も示されている。 解説 本絵図は国絵図を元に作成され、市販された折本形式の国絵図である。郡境は黒の点線で明示され、黒色の楕円の中に村名が記されている。 城・陣屋・駅・郡名も黒・朱で囲んで名前を記し、他の彩色は水色と緑のみとシンプルである。 国絵図とは江戸幕府が国土把握を目的とし、諸国の主要な大名に命じて(担当した大名は絵図元と呼ばれた)国ごとに作成させた絵地図である。 幕府は国絵図とともに土地台帳である「郷帳」もセットで作らせ、江戸城内の紅葉山文庫に収納し、年代を経て古くなると改訂を重ねた。 少なくとも慶長、正保、元禄、天保の4度にわたって編纂がおこなわれている。 幕府は幕藩制によって国内を統治したが、国絵図については諸大名の領地ごとではなく、律令制以来の国を単位として作成を命じ、 これを「官庫の図」と称していた。国絵図の作成が古代律令国家の伝統を受け継ぐ政治的な事業であったことがわかる。 こうして作成された国絵図のうち、武蔵国絵図は正保図の写と天保図の清絵図(絵図清書)の2点のみが、 紅葉山文庫の蔵書を引き継ぐ国立公文書館に現存している。 幕府の所在地であり「将軍のお膝元」と称される江戸を含む武蔵国絵図としては残存が少ないが、江戸がたびたび火災に見舞われたことや、 作成の中心となった大名が川越藩など転封の多い譜代大名であったことから、必ずしも十分に藩政史料が残されなかったことがその理由として指摘されている。 一方、展示絵図のような版本の武蔵国絵図は多数残されている。 国絵図には村名をはじめとして街道や国・郡境などの様々な情報がまとめられているが、展示資料にもそのような記載がみられる。 一例として城の記載をあげると、絵図左方の海(江戸湾)に面し、堀に囲まれているところに「御城」とあるのが江戸城である (これは別格として凡例にある城の記号は用いられていない)。その左斜め上方向に「増上寺」があり、同じ方向にもう少し進むと「三田」の地名も読み取れる。 その他、大名の居城である川越、忍(行田)、岩槻の3つの城は、城の記号である濃い四角の中が朱色に塗られ、 ひと際目立っている。本展示会に出品されている「石城日記」の著者尾崎準之助は、その中のひとつ忍藩の下級武士であった。 参考 さいたま市立博物館『第36回特別展 絵図の世界 〜描かれた背景をさぐる〜』(2012年) 国絵図研究会編『国絵図の世界』(柏書房、2005年) トップに戻る トップに戻る
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