文学部古文書室展示会
資料9:村指出帳 下書控
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村指出帳 下書控 解説

展示資料9
 村指出帳 下書控(武蔵国葛飾郡藤塚村) 竪帳 24.2×17.4p 元文2年5月

展示キャプション
 幕府や大名など江戸時代の領主たちが、村の概要を把握するために作成させた帳簿。一般に、村高、年貢高、小物成、家数、人数などが記載されている。

解説
 村明細帳は為政者の命令により村の状態を詳細に答申した帳簿であり、村の概要が全般的に記されている。 村明細帳と同様に村全体の様子について記した「村鑑帳」という帳簿も存在するが、両者は文書の性質として大きく異なっている。 通常「手鑑」と称せられる「村鑑帳」は村役人が覚のため自家の心構えとして作成したものであり、為政者への提出を想定していない。 そのためしばしば記載者当人にのみ理解できるような記述が存在する。 その一方で、村明細帳は、為政者が村の貢租・課役の負担能力を明らかにすべく作成させるもので、 為政者への提出・確認が前提となるため多少の作為が存在したと考えられる。 作成する村役人側では、実態と比して石高はより少なく、負担はより多く記す傾向があった。
 当史料は為政者によって提出された村明細帳の控であり、高667石余、反別田10町3反余、畑99町6反余、 小物成として林銭・藪銭・芦野銭・蒲原銭などを納めていたことが記されている。石高に関しては、 当時田畑の反当たりの収穫量は検地の際、「上・中・下・下々」の4等級に分類され、 上田を基準として収穫高を定めていた。また小物成の林銭や藪銭とは敷請前林・藪林などの居屋敷に付随している林で 特別に広い場合に課した税のことである。
 武蔵国葛飾郡藤塚村は幕領であったが日光道中粕壁宿の助郷を勤めていたため、 本来幕領が納めるべき六尺給米は免除されていたとの記述がある。 その他にも水旱損の有無や大工・造酒屋・鍛冶・馬数などかなり詳細に記されている。
 提出に際して為政者側では村明細帳の書式については厳しく確認を行うが記載内容と実態との 一致についての確認は行われず、調査は村役人側に一任されていた。 そのため村明細帳は近世農村の概要を知るには有用な史料であるが、 個々の記述内容については、慎重な判断が必要である。

参考
 野村兼太郎『村明細帳の研究』有斐閣、1949
 小野文雄『武蔵国村明細帳集成 』武蔵国村明細帳集成刊行会、1977
 下中弘『埼玉県の歴史 日本歴史地名大11』平凡社、1993


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村指出帳 下書控

翻刻
上畑拾五町五反六畝廿五歩  石盛九ツ
 此分米百四拾石壹斗壹升五合
中畑貳拾壹町九反三畝廿貳歩 石盛七ツ
 此分米百五拾三石五斗六升壹合
下畑四拾九町九反八畝四歩  石盛五ツ
 此分米貳百四拾九石九斗七合
下ゝ畑六町四反三畝廿歩   石盛三ツ
 此分米拾九石三斗壹升
屋敷五町七反六畝五歩    石盛九ツ
  此分米五拾壹石八斗五升五合
高合六百六拾七石九斗貳升三合
   外
一 永壹貫五百八拾三文      林錢
 此反歩六町三反三畝三歩 
一 永三百四拾八文        藪錢
 此反歩貳町三反貳畝七歩
一 永四拾文          芦野錢
 此反歩壹反五畝廿五歩
一 永貳拾四文         蒲原錢
 此反歩貳反三畝廿歩


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