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展示資料11 武州足立郡大門宿外弐拾三ヶ村組合質屋渡世名前書上帳 竪帳 24.5×17.2p 天保9年8月 展示キャプション 幕末期になると、領主たちは村明細帳の他に、農間商い・渡世についても帳簿を作成させた。本史料は、質屋についてのもので、創始年代・営業主・身分などが記載されている。 解説 江戸時代、質屋は町を中心に存在し、主に日雇いの者たちが顧客となっていた。幕末期になると農村でも貨幣経済の進展が顕著となり、 農間渡世(農民の兼業する商工業)も増加していった。領主側はその実態を把握するために、それまでは展示資料9・10のような 「村明細帳」のなかで一項目として報告させていた農間渡世について詳細な調査を行うようになり、当史料のように質屋に特化して報告を求めることもあった。 農間渡世の中でも、酒屋と質屋は特に注視されていた。酒屋は米穀との関係が深く、五人組帳前書などでも必ずといってよいほど酒屋や 造酒株の新設は禁じられていた。また、質屋は農村金融機関であり、盗難したものを質入れするといった犯罪とも関連することから、領主側も把握する必要性があったのであろう。 当史料は天保9(1938)年に行われた調査で、大門宿のほか染谷村など近隣23ヶ村の質屋について、創始年代・営業主の名前・身分などが記載されている。 文中に見られる「送質」というのは、送り質屋のことである。送り質屋とは、農村における質屋は小規模なものが多く資金も少ないため、 規模の大きい質屋へ資金の融通と引き替えに質物を送るという受付機関的な役割をした質屋である。 参考 野村兼太郎『村明細帳の研究』有斐閣、1949 小浜ふみ子『質屋の社会史』愛知大学経営総合科学研究所、2000 トップに戻る 翻刻 拾ヶ年以前丑年より 一 質屋渡世 年寄 三郎右衛門 是は同宿源右衛門方江送質仕候 八ヶ年以前卯年より 一 同 渡世 百姓 金兵衛 〆 六人 是は去ル亥年中御調後、同渡世之もの江申談候処、 故障之筋無之ニ付、村役人江申出、新規質屋相始候分 伊奈半左衛門支配所 武州足立郡戸塚村 四拾七ヶ年以前子年より 一 質屋渡世 百姓 門次郎 是は文政十亥年中御改革御之調、 弐ヶ年平均質取高書上候分 トップに戻る
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