文学部古文書室展示会
資料番号
史料名
形態
法量
時代
4
豊後国岡領郷村高辻之帳(写)(中川家文書)
竪帳
29.3×21.2cm
寛文4(1664)年5月1日
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豊後国岡領郷村高辻之帳(写)(中川家文書)解説

展示資料4
豊後国岡領郷村高辻之帳(写)(中川家文書) 竪帳 29.3×21.2cm 寛文4(1664)年5月1日

解説
 高辻帳は年貢高帳ともいい、領内における各村落の石高総計を書き上げた帳簿である。領主や主君に提出し検閲されることもあった。 本文書は領知朱印状(展示資料2)、領知目録(展示資料3)の日付より少し後に作成されたもので、中川山城守(久清)が小笠原山城守(長矩)、 永井伊賀守(尚庸)の両名に提出したことがわかる。 寛文4年の領知朱印状拝領に関連して作成された文書であろう。 領知目録にも「群村之帳面」を提出し、その帳面を確認の上、将軍から朱印状が発給された手続きが記されているが、 本文書と同様の文書が提出されたものと推測される。
 本文書によると岡領は497ヶ村、合計7万440石余であった(内訳は、大野郡252ヶ村、3万9664石余、直入郡240ヶ村、3万418石余、大分郡5ヶ村、356石余)。 また、検地や新田開発による「打出シ開高」がこの他に3万3546石余あったと記されており、岡領の実高(実際の収納高)は10万石を超えていたことがわかる。
 この時代の岡藩主中川久清は後に「中興の英主」と呼ばれた人物で、従来の丈量法とは異なる新方式を導入した「菱竿検地」(万治2(1659)年完了)を行い、 多額の打出(検地による土地の面積の増加)をもたらしたと言われている。その検地の結果がこの高辻帳にも反映されているのではないかと思われる。

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豊後国岡領郷村高辻之帳(写)(中川家文書)




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