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展示資料5 三佐御願替地絵図(中川家文書) 一紙 82.0×109.0cm 延宝6(1678)年4月6日 解説 豊後国三佐(みさ)村(大分市)近辺の浦々を描いた絵図である。 当初幕府領であったが、元和9(1623)年、岡藩領萩原村が松平忠直領となった際に、その代替地として岡藩領となった。 松平忠直は徳川家康の孫(家康の次男結城秀康の嫡男)で越前福井68万石の藩主であったが、 大坂夏の陣の恩賞への不満により参勤を怠るなど、度重なる不行跡をとがめられ、この年改易となって萩原へ流罪となったのであった。 領地のほとんどが内陸部にある岡藩にとって、乙津川、小中島川、別府湾に三方を囲まれた三佐は物資の流通、 参勤交代などにおいて貴重な船着き場であり、明治維新に至るまで岡藩の瀬戸内海への玄関口となった。 参勤交代の際にも藩主は城下から犬飼(現・大分県豊後大野市)まで陸路をすすみ、そこから大野川と乙津川を下って三佐に至る経路が取られた。 本絵図は村々が楕円形で示され、その領主によって色分けされている。黄色が中川佐渡守久恒(豊後国岡藩主)、 緑色が松平対馬守近陣(豊後国府内藩主)、水色が稲葉右京亮景通(豊後国臼杵藩主)、桃色が細川越中守綱利(肥後国熊本藩主)、白が「御公領」(幕府領)である。 トップに戻る トップに戻る
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