| |||||||||||||||||||||
展示資料15 十二月節 2巻 巻子 高さ33.5p 江戸時代後期写 解説 宮中と京都の庶民の年中行事・風俗を月ごとに絵入りで紹介した絵巻。上巻の場面は家々の門前に兜が飾られる 「端午の節会」の様子である。絵巻の詞書には、この日執り行われる宮中における様々な行事が細かく 記されているが、絵の中に描かれているのは舎人による馬弓(まゆみ)(騎射)の様子のみで、 他は市中の風景である。 鎌倉時代の元寇の折り、神の力(いわゆる神風)によって「むくり」(蒙古・元軍)に勝利したことから、 武具を飾るようになったという説明とともに家々に作り物の武具や旗指物が飾られている様子が描かれている。 また、詞書には全く言及されていないが、当時「端午の節会」の風物詩でもあった子供達による石合戦(印地) の様子なども生き生きと描写されている。 下巻の場面は7月の「七夕」と「盂蘭盆会」の風景である。 盆踊りは本来盂蘭盆において祖先の慰霊と魂送りを兼ねて踊られたと言われている。 老若男女、武士、町人が入り混じって踊りに興じる様子がうかがえるが、盆踊りは江戸初期に 人気の絶頂を迎え、幕府は貞享2年(1685)「(前略)子とも之盆おとりなとハ各別、其外町人寄合、 道辻ニて往還をさまたけ、おとり候もの有之候ハゝ、曲事可申付者也、」(『御触書寛保集成』四十五 相撲躍鞠 小哥等時行事之部、貞享二丑七月)との法令を出し、 道辻において往来を妨げて踊ることを禁止するほどであった。 その他、展示図録(カレンダー)では、京の町の年末風景が生き生きと描かれた12月の場面も紹介している。 大掃除やすす払い、餅搗きなど新年を迎える準備に慌ただしい姿とともに、節季候(せっきぞろ)と呼ばれた物乞い、 天秤棒を担いだ振り売り、掛けの回収に向かう大福帳を持った商人や金貸したちが忙しく行き交う様子描かれている。 参考文献 高柳眞三・石井良助編『御触書寛保集成』岩波書店、1976年 トップに戻る (5月5日・前略) 又家々の門にふくを 立てかさる事はむかしむくりといふものか此 くにをうははんとてせめしとき神いくさの あつくかのむくりをこと/\くうしなひ給へ りされは後の世にそのしるしを残して神 のちからのいみしき事をあらはさんために 人みんの家々にふりやくの 道具をかさり侍る なり 日本にゆみやをまもり給ふ神々は八まん 大ほさつをはじめたてまつりかしまかんとり 住よしすはの明神などにておはしますと きこしけり (7月・前略) 十四日はうらほんなりむかしさいめい天皇 の御ときあすかてらにしゆみせんのかたを つくりてはしめてうらほんえをまうけら れしなり又しやうむ天皇の御宇天平 五年七月に大内にてこれをみなは れしやこれよりのちしよししょさんにて うらほんえをゝこなへりこれはほとけの御て しにもくれんそんしゃと申人しんつうを えて六道をあまねくめくり給ふその母 のかきたうにおちてくをうけ給ふをみて なけきかなし給ひてほとけの御まへにま いりていかにしてか此くをすくひ侍るへき ととひたてまつられしとき仏の給はく 七月十五日にししの僧をくやうといけた つをうへしとしめし給ひしによつてこのうら ほんへをまうけられけるよしうらほん経 にとかれたりさて十五日の夜人のいえ /\のかとにとうろうをかけならへ火を ともす事はてんていへ手向るなり今 夜てんてい下かいにくたりて人けん のせんあくをしるし給ふゆへに上下万 民なんによふうりうをつくしおとりと いふ事をなしていさみよろこふもひとへに うれへをわすれあくをしりそけんため なりとそ今の世まてもいつくのうら /\まてをこなはさるはなかりけり トップに戻る
トップに戻る | |||||||||||||||||||||
本サイト内のすべてのコンテンツ(文章・画像など)の無断転載を禁じます。 |