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展示資料5 銅駝坊日次記・二条家記 竪帳 24.0×16.6cm 明治6(1873)年1月〜明治7(1874)年12月 解説 二条家の東京移住以降に書かれた日記。 京都の二条家別邸では展示資料4で紹介した「日記」が「御別邸役所日記」として書き継がれているが、 「銅駝坊日次記(二条家記)」は東京の牛込津久戸前町(現:東京都新宿区)の屋敷で作成されたものである。 当主や家族の行動、旧公家層の動向、来客記録などが主な記載内容である。 明治6(1873)年4月7日条には、九条尚忠(1798?1871)の8男で二条斉敬(1816?1878)の養子となっていた 二条基弘(1859?1928)の中学校入校証書が書き写されている。 前年8月に学制が発布され、近代的な学校教育制度が動き始めた時期でもあった。 初代文部卿として有名な大木喬任(1832?1899)の名も見ることができる。 トップに戻る トップに戻る
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