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展示資料10 金銀引渡帳 横半 17.3×12.2cm 安政4(1857)年7月〜安政6(1859)年12月 解説 御役所における毎日の金銀出入りを記録した台帳。 毎日冒頭に、元方から当番宛の出金額が記された後、実際の金銀出入り額が事由とともに列記されている。 出金の項目には勘定所に渡された必要経費もみられる。 内容は、実質的に展示資料9の「元方金銀出納(出入)帳」と同じであり、 実際の金銀出入り事務が執り行われた現場で作成され、これをもとに9がまとめられたと考えられる。 井伊直弼が大老職に就いて間もない、安政5(1858)年5月15日条には、 直弼の懐刀と呼ばれ安政の大獄を差配したといわれる長野義言(主膳)を仲介に、 長野が開いた江州志賀谷村(現:滋賀県米原市志賀谷)の国学塾高尚館の門人達8名が 二条家の御門入認可の礼金として4両を納め、そのうち2両が御役所に入金された記録が見られる。 長野自身もこの日、二条家に御肴料として金2分を献上している。 勅願寺や俳諧師匠、諸物売り捌き御用に対する認可などはごくありふれたことであったが、 高尚館の例は、二条家にとって初めての古学(国学)御門入許可であったという。 トップに戻る トップに戻る
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