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展示資料12 御側日記(和宮内親王宣下) 竪帳 22.8×16.4cm 文久元(1861)年4月19日 解説 孝明天皇(1831-1867)の妹和宮(1846-1877)は、6歳になる嘉永4(1851)年に有栖川宮熾仁親王(1835-1895)と婚約した。 婚礼は万延元(1860)年と予定され、和宮は生家を出て桂宮邸に移居するなど着々と準備が進められていた。 和宮は、仁孝天皇(1800-1846)の15子であったが、天皇の子女であっても、 正式に内親王を名乗るには宣下を要するという慣例があった。 そのため、文久元年4月19日、内親王宣下が執り行われ、名を親子(ちかこ)と賜り、 皇女としての格式を有し降嫁の日を迎えることになった。 この日、二条家当主、内大臣兼左大将の斉敬(1816-1878)は、3名の諸大夫を筆頭に 55人もの家人を伴い参内している。 のちに和宮に随行し、江戸に下ることになる隠岐肥後守も斉敬に従った。 本学三田メディアセンター所蔵の「内々番所日記」にも、二月に予定されていた 内親王宣下が一度延引したことなど、和宮関連の記事を見る事ができる。 トップに戻る トップに戻る
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