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展示資料13 御側日記(和宮降嫁) 竪帳 22.8×16.6cm 文久元(1861)年10月18日 解説 万延元(1860)年10月、和宮親子内親王(1846-1877)降嫁の勅許が出され、 翌文久元年20日和宮一行は京都を出立し、25日の行程で中山道を通り江戸へと下向した。 二条家からも最上位の家臣である諸大夫の隠岐肥後守が、 和宮の輿の前を進む10人の前駆諸大夫の1人として随行した。 この行列を題材にした「絲毛御車行列並御役人付」などの刷物も多く出され、 前駆諸大夫の中に隠岐肥後守の名前を見る事ができる。 「御側日記」には、出立の2日前に、二条家当主斉敬(1816-1878)から隠岐肥後守が盃を賜ったことが記録されている。 その日は、諸大夫筆頭北小路大蔵権大輔も立ち会い、斉敬のもとで陪膳を賜ったのち、 衣類などが記載された餞別の目録が隠岐肥後守に渡されている。 和宮一行は、11月15日に江戸へ到着し、12月11日に江戸城本丸へ入輿、 翌年2月11日に和宮と14代将軍徳川家茂(1846-1866)の婚儀が執り行われた。 トップに戻る トップに戻る
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