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展示資料16 御側日記(蛤御門の変) 竪帳 23.0×16.6cm 元治元(1864)年7月19日 解説 元治元年7月19日早朝、尊王攘夷派の勢力挽回を図った長州軍と、 京都を守る薩摩・会津藩を中心とする公武合体派との軍事衝突である蛤御門の変(禁門の変)が勃発した。 「御側日記」は、事件の一報を受けた一橋中納言(禁裏守衛総督一橋慶喜)(1837-1913)が 一騎で馳せ参じる場面から始まる。 非常の事態に備え二条家においても警護が固められていく中、 ついに中立売御門・蛤御門などの宮門を突破した「防長之賊軍」(長州軍)が「砲発」。 対する「薩会之両軍」(薩摩・会津の藩兵)が「賊徒ヲキル」とあり、 激戦の展開が描かれる。 最終的には一橋中納言の命令で長州軍が立て籠っていた「鷹司殿」(鷹司邸)に火が放たれ、 長州軍は「京極之街ニ敗走」する。 戦いは1日で終わったが、京都の火災は21日まで続いたという。 なお、本日記7月24日条には、いわゆる長州征伐の朝命が、 8月1日条には、伝奏衆からの長州残党差し出しの命令が、 それぞれ二条家内で廻達されていたことが記録されている。 トップに戻る トップに戻る
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