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展示資料22 中古京師内外地図 地図 102.5×117.0cm 原本:寛延3(1750)年初夏 解説 展示資料の原本の作者森幸安(1701-?)は、京都高辻京極西茶磨屋町(現:京都市下京区)に生まれ20歳ほどで伯父の香具屋を継ぎ御所にも出入りした。 療養のため10年ほどで隠居した後は各地を探訪し、そこで得た知見や既存の地誌を基に多くの地誌を作成した。 寛延2(1749)年頃から本格的に地図の制作を開始している。 森は単一目的のために単純化する「絵図」ではなく、複雑なものを複雑なまま表現する「地図」の作成を企図した。 最終的な目標は世界中の地図を作成しそれらを繋ぎあわせ、そこに過去から現在までの情報を書き込むということであったともいわれる。 本図は古代から近世までの京都を表した多数の京都歴史地図(原本国立公文書館所蔵)のなかの 「皇州餘撰部 中古京師内外地図」の写本であり、中世から戦国末までの様子が描かれている。 展示資料は、歌人で国学者の小沢蘆庵(1723-1801)所蔵写本をもとに、妙法院宮御蔵本で校訂したものである。 二条家の祖良実(1216-1271)時代の二条富小路殿が「定家卿代々住ス二条地也」、 鎌倉後期に移った押小路烏丸殿が後に御池通りの名の起源となった龍躍池とともに 「二条トノ下亭」として、 更に、二条東洞院には、「二条関白家後二条内裏」などの記載が見られる。 その後二条邸は、法恩寺屋敷、新在家町と移転し、江戸時代初頭に今出川邸に移り、 そのまま幕末維新を迎えることになる。 トップに戻る トップに戻る
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