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展示資料12 慶応四辰 大坂行幸御警衛付 一紙 縦23.0㎝×横29.0㎝ 慶応4(1868)年 解説 大坂行幸に供奉した「御供奉御大名方」(先陣9家、後陣8家)および、御所の門(外側を囲む9門と内門のうち5門)を固める「御守衛」の諸侯を示した刷物である。肥後熊本藩の細川右京大夫(護久)(1839-1893)・備前岡山藩の池田備前守(茂政)(1839-1899)など、どちらの役目も併せ勤めている諸侯もみられる。その中で、かつて禁門の変で敗れた長州藩が、その主戦場であった蛤御門の警衛にあたっていることは興味深い。 慶応4年2月3日、明治天皇(1852-1912)は二条城に行幸し、そこにおかれた太政官代において旧幕府軍追討の命を出した。そして、五箇條の御誓文が布告された一週間後の同年3月21日に、大坂行幸を断行する。本資料に掲載されている諸侯や公家衆らを引き連れての、49日間に及ぶ大掛かりな行幸となった。 トップに戻る トップに戻る
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