文学部古文書室展示会
資料番号
史料名
形態
法量
時代
13
美濃国本巣郡神海村宗門改帳関係史料
・西本願寺宗美濃国本巣郡神海村宗門御改帳
・禅宗美濃国本巣郡神海村宗門御改帳
・美濃国本巣郡神海村家数人数〆高御改帳
・家数人数増減帳
竪帳
平均 
縦28.0cm × 横20.0cm
安永6(1777)年
 ~弘化4(1847)年
安永6(1777)年
 ~弘化4(1847)年
安永6(1777)年
 ~嘉永7(1854)年
嘉永2(1849)年
 ~嘉永7(1854)年
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美濃国本巣郡神海村宗門改帳関係史料 解説

展示資料13
 美濃国本巣郡神海村宗門改帳関係史料 竪帳 平均 縦28.0cm × 横20.0cm
 ・西本願寺宗美濃国本巣郡神海村宗門御改帳
 ・禅宗美濃国本巣郡神海村宗門御改帳
 ・美濃国本巣郡神海村家数人数〆高御改帳
 ・家数人数増減帳


解説

・西本願寺宗美濃国本巣郡神海村宗門御改帳 安永6(1777)年~明治2(1869)年
・禅宗美濃国本巣郡神海村宗門御改帳  安永6年~慶応3(1867)年

 それまで1冊であった美濃国本巣郡神海村(現岐阜県本巣市神海)の宗門改帳は、 安永6年以後、西本願寺宗・禅宗の2冊に分けて作成されるようになり、家数人数〆高改帳と併せて 計3冊が作成されている。本室に架蔵されているものは、西本願寺宗49冊、禅宗54冊である。
 冒頭にキリシタン取締りの定書が記され、「一家壱軒」を単位にして、まず家の持ち高、 家長の名と黒印とが据えられた後、高齢者から順に夫・女房の夫婦単位で、 子供達は性別に拘わらず年齢順に記され、それぞれ家長との続柄・名・年齢が 記入された。そして一人一人について名前の下に檀那寺名とその黒印とが据えられた。 最後に男女別数・家族の合計数で締められている。同一の家の中でも宗派が異なる事例も少なくない。 宗門改帳の末尾には、奉行所の改役・横目が奥印している。
 宗門改帳作成後1年間についての出生・死亡、婚姻・養子縁組、奉公・家出などに伴う変化は、 適宜貼り紙で書き加えられ、それをもとに翌年の宗門改帳が作成された。


・美濃国本巣郡神海村宗門家数人数〆高御改帳 安永6(1777)年~慶応3(1867)年

 安永6年以後、宗派ごとの2冊の宗門改帳と併せて作成された村内の総家数人数の記録。 宗門改帳と同じく毎年作成されており、安永5(1776)年以前は宗門改帳の冒頭で定書の後に記載されていた 「御請状之覚」が、安永6年以後は檀那寺による「諸宗寺院御請状之覚」と併せて、 家数人数〆高改帳の冒頭に記載されるようになった。 これらの覚書は、村内にキリシタンがいないこと、キリシタンの訴人が出た場合は速やかに申し出ること等を、 村役人と檀那寺が請け合ったものである。覚書の後に家数人数の合計が記載され、 奉行所の改役・横目が奥印している。


・家数人数増減帳 貞享元(1684)年~明治元(1868)年

西本願寺宗・禅宗の宗門改帳と家数人数〆高改帳の3冊と並んで、村内の人口の増減を個別具体的に 把握するために作成されたもので、前年から作成年までに村内で生じた、個々の出生・死亡、婚姻・養子縁組、 奉公・家出などに伴う異同について記録され、末尾に村全体の家数・人数の増減とその結果とが記載されている。 僅かに残されている貞享3(1686)年以前の増減帳には、奉公人について名前・年齢・奉公先・奉公年数が 記されたほか、末尾には増減の事由ごとに男女別の合計人数が記されていたが、 後年のものには奉公人の記載は見られず、馬牛の数が記載されるようになっている。
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美濃国本巣郡神海村宗門改帳関係史料



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