一 家壱軒               庄左衛門 (印)                  (付箋)民右衛門 美濃国本巣郡神海村檀那寺  庄左衛門   三拾七歳 禅宗金輪寺 (印)  (付箋)「去ル十二月十三日家出仕       行衛不知相尋人」              同国同郡同村檀那寺  弟民右衛門  三拾五歳 右同宗同寺 (印)     〆 弐人男   (付箋)「壱人男」 古文書室展示会 資料17-19:禅宗美濃国本巣郡内野村宗門御改帳
文学部古文書室展示会
資料番号
史料名
形態
法量
時代
17
禅宗美濃国本巣郡内野村宗門御改帳
竪帳
縦27.5㎝×横20.6㎝
天保3(1832)年6月
18
縦27.9㎝×横20.4㎝
天保4(1833)年6月
19
縦28.4㎝×横20.2㎝
天保7(1836)年6月
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禅宗美濃国本巣郡内野村宗門御改帳 解説

展示資料17~19
 禅宗美濃国本巣郡内野村宗門御改帳 竪帳


解説

 天保3年12月13日、庄左衛門(37歳)と民右衛門(35歳)の兄弟二人で構成されていた一家から、 家長の庄左衛門が家出する。一人残された民右衛門は兄に代わって家督を継ぎ、 その後神海村の南に隣接する木知原村(大垣藩領:現岐阜県本巣市木知原)の百姓熊七の妹ゆきのと縁組し、 女児つるよを授かる。家出した庄左衛門は、毎年合計人数の員数外に記録されていたが、天保7年に除帳願が出され、 翌年の宗門改帳から除かれた。庄左衛門の記録は、家出から御尋中を経て除帳に至るまでの 記載が連続して確認できる資料である。
 資料19で庄左衛門とともに除帳願の出されている家出人は、天保4年に同村から家出した墨之助(家出当時29歳)のことである。 内野村では、墨之助が唯一の西本願寺宗徒であったため、禅宗宗門改帳の員数外に家出人として加筆されるようになり、 庄左衛門とともに天保7年に除帳願が出されたものと考えられる。
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禅宗美濃国本巣郡内野村宗門御改帳

展示資料17 禅宗美濃国本巣郡内野村宗門御改帳
一 家壱軒               庄左衛門 (印)
                (付箋)「民右衛門」
             美濃国本巣郡神海村檀那寺
 庄左衛門   三拾七歳 禅宗金輪寺 (印)
 (付箋)「去ル十二月十三日家出仕
      行衛不知相尋人」
             同国同郡同村檀那寺
 弟民右衛門  三拾五歳 右同宗同寺 (印)
    〆 弐人男
  (付箋)「壱人男」



展示資料18 禅宗美濃国本巣郡内野村宗門御改帳
一家壱軒               民右衛門 (印)
           美濃国本巣郡神海村檀那寺
 民右衛門 三拾六歳 禅宗金輪寺 (印)
(付箋「       同国同郡同村檀那寺
    女房 弐拾五歳 右同宗同寺
            木知原村熊七妹ゆきの縁付来ル
             同国同郡同村檀那寺 
   女子つるよ 弐歳 右同宗同寺
      〆 三人内 男壱人
        女弐人
     外ニ 
    壱人    民右衛門兄 庄左衛門
         去ル辰十二月退去仕当時御尋中ニ御座候」 
  〆 壱人男
(後筆)「外ニ壱人男  庄左衛門去ル辰十二月家出仕
            永御尋中之者」




展示資料19 禅宗美濃国本巣郡内野村宗門御改帳
家数合弐軒      大小共
 人数合八人内 男三人 老若共
        女五人
(付箋)「九人内 男三人
         女六人」
   外ニ
  壱人男天保三辰十二月家出仕当時御尋中ニ御座候
  壱人男同四巳十一月家出仕当時御尋中ニ御座候
(付箋)「両人共五月御除帳奉願上」


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禅宗美濃国本巣郡内野村宗門御改帳

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