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展示資料26 離旦一札(志鳥村百姓庄左衛門娘すい縁組に付) 一紙 縦27.7㎝×横31.3㎝ 天保5(1834)年11月 解説 下総国猿島郡志鳥村(関宿藩領:現茨城県猿島郡境町)百姓庄左衛門の娘すいが、同国葛飾郡磯部村(幕領:現茨城県古河市)百姓長左衞門のもとに嫁ぐこととなった。本資料は、婚姻に伴う檀那寺の移動について、すいの檀那寺であった志鳥村真言宗般若院から、長左衛門の檀那寺である大福田村(関宿藩領:現茨城県猿島郡五霞町)浄土宗正徳寺に宛てた一札である。磯部村には真言宗の真浄院もあったが、すいは浄土宗である長左衛門の檀那寺に加えられることとなった。婚姻に伴う地理的移動や檀那寺の移動だけでなく、宗旨もまた真言宗から浄土宗に移ったのである。 トップに戻る 離旦一札 一 下総国猿嶌郡志鳥村百姓庄左衛門娘すいと 申者生年廿一歳ニ罷成候處代々真言宗ニ而 拙寺檀那ニ粉無御座候今般下総国葛飾郡 磯部邑百姓長左衛門妻ニ縁組仕離旦之義 願出任其意ニ離旦申渡候自今以後御旦家ニ 被成御宗判可被成候為念離旦一札依而 如件 天保五午年 志鳥村 十一月 般若院 印 大福田邑 正徳寺 御納所衆中 トップに戻る
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