文学部古文書室展示会
資料番号
史料名
形態
法量
時代
28
乍恐以口上書奉願上候(庄右衛門娘のよ縁組に付関所通行手形願)
一紙
縦29.5㎝×横40.5㎝
寛延3(1750)年11月
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乍恐以口上書奉願上候(庄右衛門娘のよ縁組に付関所通行手形願) 解説

展示資料28
 乍恐以口上書奉願上候(庄右衛門娘のよ縁組に付関所通行手形願) 一紙 縦29.5㎝×横40.5㎝ 寛延3(1750)年11月


解説

 本資料は、武蔵国葛飾郡樋籠村(幕領:現埼玉県春日部市樋籠)の百姓庄右衛門が、兄又右衛門、名主又兵衛と連署の上、御役所の戸田忠兵衛に対し、娘のよ(22歳)の関所通行手形下付を願い出た文書である。のよは、樋籠村名主伊右衛門を仲人に、下総国葛飾郡丸井村(幕領:現千葉県野田市関宿町)百姓七郎兵衛に嫁ぐことになっており、その道中で関宿関所を通過する必要があったためである。
 樋籠村は、古利根川と庄内古川とに挟まれた平野に展開する部落で、日光道中粕壁宿の助郷村である。丸井村も江戸川沿いに位置し、水戸道我孫子宿や日光道中杉戸宿・武蔵幸手宿の助郷役・加助郷役を負担していた。関宿関所は、寛永8(1631)年に関宿河岸(江戸川の定船場)に併置された関所で、関宿藩主久世大和守が管理者となり、川船の積荷や旅人の改めを請け負っていた。関宿の夜船に乗ると翌朝には江戸に到着できたため、奥州方面から江戸へ赴く旅人が多く利用した。
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乍恐以口上書奉願上候(庄右衛門娘のよ縁組に付関所通行手形願)

乍恐以口上書奉願上候
一 武蔵国葛飾郡樋籠村百姓庄右衛門御願申上候、
私娘当年弐拾弐歳ニ罷成候のよと申女壱人
        吉田久左衞門様御代官所
  此度同村名主伊右衛門仲人ニテ下総国葛飾郡
  丸井村七郎兵衛と申者方江縁組尤前々より縁者ニ
  御座候ニ付、右七郎兵衛娵二遣申筈ニ相極申候、依之
  奉願上候、御慈悲ニ関宿 御関所通御手形
  頂戴仕度奉願上候、御慈悲ニ御関所御手形
  被下置候ハゝ難有奉存候、以上

            武蔵国葛飾郡樋籠村
   寛延三年午十一月     願人 庄右衛門 印
            庄右衛門親類 又右衛門 印
                名主 又兵衛  印
   戸田忠兵衛様
       御役所


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乍恐以口上書奉願上候(庄右衛門娘のよ縁組に付関所通行手形願)

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