文学部古文書室展示会
資料番号
史料名
形態
法量
時代
29
差上申手形之事(源兵衛出府に付関門通行手形)
一紙
縦24.4㎝×横33.2㎝
慶応4(1868)年2月14日
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差上申手形之事(源兵衛出府に付関門通行手形) 解説

展示資料29
 差上申手形之事(源兵衛出府に付関門通行手形) 一紙 縦24.4㎝×横33.2㎝ 慶応4(1868)年2月14日


解説

 本資料は、下総国葛飾郡神間村(幕領、のち旗本6氏の相給:現埼玉県春日部市神間)の名主源兵衛が用向きのため江戸へ出るにあたり、各所に設けられた関門を通過できるよう、同村の組頭源次郎が、関門の役人に宛てて身元を保証した手形である。神間村は、正保年間(1644-1648)に開発された神間新田が、延宝3(1675)年に改称したと伝えられる。元々神間村は幕領であったが、その後、旗本6氏(松平・中根・滝野・久野・能勢・武島)の相給地となり、本手形の持参人である源兵衛は、旗本能勢十次郎の知行所に属していた。
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差上申手形之事(源兵衛出府に付関門通行手形)

差上申手形之事
         能勢十次郎様 知行所
          下総国葛飾郡
             神間村
             名主
 源兵衛
右者地頭所御用向ニ付出府仕候間、
御関門無相違被遊御通可被下候、以上
  慶應四年辰二月十四日
             右村
             組頭
 源次郎 印
 御関門
  御役人中様


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