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展示資料6 覚(去々亥年朝鮮人来聘に付往来人馬賃金永請取に付) 一紙 縦28.4㎝×横18.9㎝ 享保6(1721)年5月10日 徳川吉宗将軍襲封の祝賀として享保4(1719)年に来日した通信使の通行に関して、城州淀(京都府京都市伏見区)より江戸までの道中における往来人馬の賃金を、高100石につき永850文ずつの割合で村々に賦課した国役金の請取証文。合計永6貫94文3分の国役金が、武蔵国豊島郡角筈村(東京都新宿区)の名主より代官に納められたことがわかる。従来宿場近隣の農村が負担していた継送人馬役は、この享保4年の通信使来日以降、畿内から武蔵国まで16ヶ国に賦課され、貨幣納する国役金に変更された。その様子を知ることができる文書である。 トップに戻る 覚 一、永六貫<(黒印)>九拾四文三分也、 右者去々亥年朝鮮人就来朝城州淀より 江戸迄往来人馬賃金高百石ニ永八百五十文 宛之積り、其村高懸り役金受取所、如件、 享保六年丑 五月十日 會 伊右衛門(黒印) 豊嶋郡 角筈村 名主 トップに戻る
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