文学部古文書室展示会
資料番号
史料名
形態
法量
時代
7
乍恐書付を以奉願上候(朝鮮人国役金免除願)
一紙
縦32.5㎝×横55.5㎝
寛延3(1750)年2月
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乍恐書付を以奉願上候(朝鮮人国役金免除願) 解説

展示資料7
 乍恐書付を以奉願上候(朝鮮人国役金免除願) 一紙 縦32.5㎝×横55.5㎝ 寛延3(1750)年2月

  武蔵国豊島郡角筈村(東京都新宿区)、幡ヶ谷村、代々木村、千駄ヶ谷村(東京都渋谷区)4ヶ村の惣百姓を代表し、村役人が朝鮮通信使来日にかかる国役金の免除を願い出たもの。
  本資料によれば、2年前の寛延元(1748)年の通信使来日(徳川家重将軍襲封祝賀)に際し、この4ヶ村は品川宿への人馬提供を行い、千駄ヶ谷村については塩硝蔵(焔硝蔵:火薬庫)の人足を供出した。また、人馬提供に関しては追加の「増人足」を昼夜にわたって務め、これらの負担により困窮している状況であるため、さらに国役金を負担することは難しいと訴え、国役金の免除を願い出ている。国役金が人馬の提供と重複して賦課された事例であり、農村における負担の重さがうかがえる。


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乍恐書付を以奉願上候(朝鮮人国役金免除願)

    乍恐書付を以奉願上候
一、豊嶋郡角筈村・幡ヶ谷村・代々木村・千駄ヶ谷村惣百姓一同ニ
  奉願上候、去々辰年朝鮮人来朝之節、御入用として国役
  金被為 仰付奉畏候、去々辰年朝鮮人来朝之節、御役人馬
  御掛り筧傳五郎様御役所江被為 召出、品川寄人馬相勤
  候様ニ被為 仰付候ニ付、右四ヶ村之儀、千駄ヶ谷村御塩焇蔵
  大人足相勤候村方ニ御座候ニ付、右重役之段、書付を以お願申上候
  所、御吟味之上、右寄人馬御免被成下候、依之朝鮮人逗留
  中別而大切ニ相勤候様ニ、筧傳五郎様御役所ニ而被為 仰付候ニ付、
  増人足を以、昼夜相勤申候、依之困窮之百姓共、此度朝鮮人
  国役金被為 仰付、難儀至極ニ奉存候、何卒御慈悲ヲ以
  右國[国]役金御免被成下候ハヽ、村々惣百姓一同ニ難有可奉存候、以上、
   寛延三年午二月             角筈村
                        名主  与兵衛(黒印)
                        年寄  元右衛門(黒印)
                        百姓代 八十右衛門(黒印)
                       幡ヶ谷村
                        名主  所兵衛(黒印)
                        年寄  三郎右衛門(黒印)
                        百姓代 庄右衛門(黒印)
                       代々木村
                        名主  治右衛門(黒印)
                        年寄  忠右衛門(黒印)
                        百姓代 九兵衛(黒印)
                       千駄ヶ谷村
                        名主  弥次右衛門(黒印)
                        年寄  藤兵衛(黒印)
                        百姓代 傳右衛門(黒印)
  舟橋安□□<(右衛)>門様
             御役所



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