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展示資料14 琉球聘使畧 一紙 縦38.3p×横52.8p 嘉永3(1850)年頃 琉球王国最後の国王となる尚泰王(1843−1901)即位に際し、嘉永3年に江戸上りした謝恩使を紹介した刷り物。琉球王国が幕府に対し派遣した使節団は、これが最後となった。 本資料には、江戸上りと中山王朝の歴史、琉歌、使節団の官職・人名と従者一行の内訳・人数(計99人)に加え、琉球王国の地理と行列図が描かれている。琉球王国の地理・歴史や使節団の内訳を紹介する瓦版は、慶賀使・謝恩使が来聘する度に数多く出版されており、本資料もその一つである。 本資料で目を引くのが、表情豊かに描かれた行列図である。異国風の装いの中でも華やかな衣装を身に着け銅鑼や喇叭など物珍しい楽器をにぎやかに演奏する路地楽は、「江戸立ち第一のけはい」とされ注目を浴びた。だが一年前後を要する江戸上りの旅は、不慣れな冬の厳しい寒さや長旅の疲労が重なり、客死する者も少なくなかった。この時の使節団に儀衛正(路地楽指揮者)として随行した高嶺親雲上魏国香も、10月22日江戸を目前に病死し、遠州浜松宿(静岡県浜松市)の西見寺に埋葬された。 トップに戻る トップに戻る
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