文学部古文書室展示会
資料番号
史料名
形態
法量
時代
15
摂津名所図会 大坂部四下
竪帳
縦25.7p×横18.2p
寛政10(1798)年刊
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摂津名所図会 大坂部四下 解説

展示資料15
 摂津名所図会 大坂部四下 竪帳 縦25.7p×横18.2p 寛政10(1798)年刊

  『摂津名所図会』は摂津国(大阪府の一部と兵庫県の一部)の名所・旧跡を描いたもので、全9巻12冊。著者は秋里籬島(生没年不詳)、挿絵は竹原春朝斎(?−1800)を主筆とし丹波桃渓(1760−1822)以下七人が助筆。寛政6(1794)年より製作が開始され、初版は寛政8(1796)年と同10(1798)年の2回に分けて刊行された。本資料は寛政10年刊行の巻四下である。
  本資料中には、「関西諸侯乗船 琉球人難波津着岸」の図として、大坂の難波津に琉球王国の使節団を乗せた船団が到着した場面が描かれている。船には「中山王府」の札が掲げられ、鉦や太鼓を意味する「金鼓」旗、琉球使節団の象徴とされた虎旗(翼を持ち前足を高く掲げた虎)、喇叭や太鼓などの楽器を奏でる人々の姿が見て取れる。江戸上りの一般的な旅程は、初夏に偏西風を利用して鹿児島に到着し、陸路を移動して川内河口の久見崎から海路に出、九州西岸を経て玄界灘を越え小倉から瀬戸内海に入り、大坂の木津川河口に至る。そこから御座船に乗り換え淀川を伏見まで上り、美濃路・東海道を経て、江戸の芝にある薩摩藩邸に到着することとなる。航海や川上りに必要な物資や労働力は、幕府が小倉・平戸・熊本など航路付近の諸大名に供出を命じ船団が用意された。本資料においても、九曜紋や一文字三星紋が尚氏家紋の左三つ巴と共に掲げられた様子が描かれている。


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摂津名所図会 大坂部四下





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