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展示資料16 東海道名所図会 二 竪帳 縦26.2p×横18.8p 厚さ2.0p 寛政9(1797)年刊 『東海道名所図会』は、寛政9(1797)年に刊行された東海道の名所案内で、全6巻6冊。著者・秋里籬島(生没年不詳)、画・竹原春泉斎(?−1800)ほか、序・惜陰堂主人(中山愛親)(1741−1814)。名所旧跡史跡の他、土地の伝説や関係する古歌、産業名産を紹介している。 本資料には、琉球の人々が近江国栗太郡草津宿(滋賀県草津市)に宿泊した際に、活人石なる奇石を見物している場面が描かれている。琉球使節団の服装や髪型は、異国の王の臣従という演出により幕府の威光を高めるため、唐風に揃えるよう規定されていたが、そのことは琉球王国の独立国としての体裁を保つものでもあった。本資料においても、武士たちが髷を結い和装であるのに対し、琉人らの髪型・服装は唐風に描き分けられている。 活人石については、かつてこの地にあった巨大な栗樹の化石で、高さは二尺余(約60cm)、幅は一尺五寸半(約45cm)、海松色(黒色かかった黄緑色)をしていたと記述されている。草津宿が置かれていた「栗太郡」の名は、この栗の大樹に由来すると言われ、あまりに巨大で耕作の妨げとなったことから大樹は焼き払われ、その灰で灰塚山が出来たという伝説が残る。 トップに戻る トップに戻る
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