文学部古文書室展示会
資料番号
史料名
形態
法量
時代
17
去寅琉球人参府帰国之節道中筋人馬継立方國役銀取立帳
横帳
縦12.5p×横34.6p
文化4(1807)年3月
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去寅琉球人参府帰国之節道中筋人馬継立方國役銀取立帳 解説

展示資料17
 去寅琉球人参府帰国之節道中筋人馬継立方國役銀取立帳 横帳 縦12.5p×横34.6p 文化4(1807)年3月

  琉球王国第二尚氏王朝第17代国王尚灝王<しょうこうおう>(1787−1834)即位に際して、文化3(1806)年、琉球王国から幕府に謝恩使が派遣された。本資料は、翌年使節団が帰国するにあたり、日光道中粕壁宿(埼玉県春日部市)の助郷村であった武蔵国葛飾郡樋籠村(埼玉県春日部市樋籠)が人馬継立用の国役銀を上納した際の取立帳である。樋籠村は樋堀・向嶋・本村の三株に分かれており、年貢や諸役は各株の名主の協議に基づき株単位に振り分けられ、個々の百姓に割当てられた。本資料は、本村株名主吉蔵が琉球人国役銀804文9分の配分(本村株414文5分5厘、樋堀株245文5厘、向嶋株145文3分)と本村株での小前取立を記録したもので、金額と負担者の名前に認印が捺されている。
  文化3年の謝恩使は、読谷山王子朝勅(生没年不詳)を正使、馬氏小緑親方(生没年不詳)を副使とし、総勢97人。11月23日に江戸で第11代将軍徳川家斉(1773−1841)に謁見し、翌年4月20日に帰国した。


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去寅琉球人参府帰国之節道中筋人馬継立方國役銀取立帳




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