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展示資料18 (寅年琉球人参府道中入用国役金請取) 一紙 縦24.2p×横8.8p 文化4(1807)年9月22日 文化3(1806)年に江戸上りした謝恩使の道中入用国役金として、武蔵国葛飾郡樋籠村(埼玉県春日部市樋籠)の新開から54文9分徴収したことを、樋籠村を支配する代官野田源五郎(生没年不詳)の手代黒川宗八と熊谷斧右衛門が証明した請取書。 野田源五郎は、享和3(1803)年閏1月から文化10(1813)年8月までの10年間、樋籠村をはじめ関東の幕府直轄領の支配代官として赴任していた。前職は西丸納戸番で家禄は300俵、病気のために代官を退いた記録が残る。手代は代官の執務を補助した役職で、勘定奉行から御家人が正式に任命される手付とは異なり、農民の中から代官によって自由に選出された。 トップに戻る トップに戻る
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