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展示資料26 改正 蝦夷全圖 折本 縦57.7p×横45.1p(19.2p×11.5p) 嘉永7(1854)年刊 幕末の携帯用蝦夷地図。加賀藩士豊島毅(生没年不詳)の作、識語は仙台藩士玉虫義(左太夫1823−1869)。 蝦夷闔境輿地全図(展示資料25)をもとに作成され、地名や陸路・海路のほか「名所」「運上屋」「泊所」など実際に移動する上で目印となる場所が記載されているが、本資料では北蝦夷の大きさを始め地形を整えることが重視され、地名の一部は敢えて省略された。上部には「蝦夷方言」としてアイヌ語・日本語対応表が掲載されており、展示資料25がアイヌ語19語・日本語16語の記載であったのに対し、本資料ではアイヌ語184語・日本語164語が記されている。蝦夷地図に日本語・アイヌ語対応表が掲載された数少ない資料である。 玉虫左太夫は、弱冠24歳にして湯島聖堂の塾長を務めた秀才で、安政4(1857)年の箱館奉行堀利煕(1818−1860)の蝦夷地巡視団に加わった。その際に記録した『入北記』の観察眼を買われ、万延元(1860)年の日米修好通商条約批准書交換使節団に記録係として随行し、『航米目録』を著している。 トップに戻る トップに戻る
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