文学部古文書室展示会
資料番号
史料名
形態
法量
時代
9
諸家達届聞込書 29巻(仙石家文書)
竪帳
23.5×17.1cm
元治元(1864)年5月〜明治3(1870)年8月
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諸家達届聞込書 29巻(仙石家文書) 解説

展示資料9
 諸家達届聞込書 29巻(仙石家文書) 竪帳 23.5×17.1cm 元治元(1864)年〜明治3(1870)年

解説
 但馬国出石(いずし)藩(兵庫県豊岡市)の藩庁記録。元治元(1864)年5月〜明治3(1879)年8月付の公的な文書、建白書、報告書、 各種風聞や英字新聞の翻訳など、様々な情報が記録されている。 明治維新の政府側公式史料集『復古記』には「晩翠楼叢書」として屡々引用されている。
 この第21冊には、日本最初の会社組織の設立に奔走した数奇の浮世絵師本間北曜(ほくよう)(1822-1868)による 慶應3(1867)年6月付の「薩州商社発端」から、同年11月21日付の尊王攘夷派公家大蔵卿豊岡随資(あやすけ)(1814-1886)による 29箇条の建言までが記録されている。
 ここでは、大政奉還の10日後、慶應3(1867)年10月24日付で将軍職辞退を申し出た徳川慶喜(1837-1913)による上表文が、 父の仇討ちを志し一時新撰組にも身を置いた佐久間象山の息子恪二郎(かくじろう)(三浦啓之助)(1848-1877)による、 睦仁(むつひと)親王(明治天皇)(1852-1912)の摂政であった二条斉敬(なりゆき)(1816-1878)宛て建白書とが、並んで書き留められている。


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諸家達届聞込書 29巻(仙石家文書)


     幕府建言
臣慶喜昨(夜)秋相続仕候節に将軍職之儀固く御辞退
申上候得共後厚蒙御沙汰候付御請仕
奉職罷在候処今般
奏聞仕候次第も有之候間将軍職御辞退奉申上度
此段 奏聞仕候以上
   十月廿四日           慶喜


摂政殿エ建白  松代故臣佐久間修理伜(柳三)恪二郎乍
恐謹言奉申上候私共身分と才とを以申上候得共中々以
天下之御大政ニ奉向猥ニ口を可聞には無御座候得共方今閣
下に被為置候ては公聴廣観之至道を被為尽天下之
少善を不□其方を被為仰候哉に奉仰観候且は当今之
御時節実に御大切と奉存候乍不及御急務之一二
を奉申上候抑第一は
幕府を始大小の侯伯に至り候迄尽く王臣ならさるは
無御座又都下を始如何なる迷遠之地ニ至候ても尽く
王土ならさるは無御座候御事申上候迄も無之必然之

参考文献
 『復古記』第一冊、1930



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