文学部古文書室展示会
資料番号
史料名
形態
法量
時代
17
御側日記(条約勅許)
竪帳
23.1×16.2cm
慶應元(1865)年9月25日
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御側日記(条約勅許) 解説

展示資料17
 御側日記(条約勅許) 竪帳 23.1×16.2cm 慶應元(1865)年9月25日

解説

 安政5(1858)年に日本と結んだ修好通商条約の勅許と兵庫の先期開港を求め、 慶應元年9月16日、英・米・仏・蘭連合艦隊が兵庫沖に来航した。 幕府は条約勅許と兵庫開港を朝廷に奏請、朝廷内の議論は紛糾したが、 禁裏守衛総督徳川慶喜(一橋中納言)(1837-1913)、京都守護職松平容保(会津藩主、松平肥後守)(1836-1893)、 京都所司代松平定敬(桑名藩主、松平越中守)(1847-1908)が関白二条斉敬(1816-1878)らと協議した結果、 条約のみ勅許という判断が下された。
 「御側日記」は、この条約勅許の前後、慶喜・容保・定敬がたびたび 二条邸を訪れる様子を伝えている。 「西湖之間」で対面、用談がなされ、終了すると酒肴が出されるのが常であった。 この日は用談中に黒川嘉兵衛が用談に加わる様子が記されている。 黒川は幕臣で、嘉永7(1854)年アメリカ使節ペリーと事務折衝にあたった人物である。 外国交渉の経験者を交え、公武合体を主導した幕府・朝廷の中心人物が密接に語り合う様子がうかがえる史料である。


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