文学部古文書室展示会
資料番号
史料名
形態
法量
時代
19
御家来列御館入御出入等願書親類書申渡御請書等留(三浦命助親類書)
竪帳
23.8×17.1cm
安政4(1857)年閏5月16/17日
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御家来列御館入御出入等願書親類書申渡御請書等留(三浦命助親類書) 解説

展示資料19
 御家来列御館入御出入等願書親類書申渡御請書等留(三浦命助親類書) 竪帳 23.8×17.1cm 安政4(1857)年閏5月16/17日

解説

 本資料には、命助(1820-1864)から二条家御役人中へ提出された 御家来列召加願書および親類書とともに、命助への申し渡し、下げ渡し品等が一括して書き留められている。 展示資料20にあるように、翌安政5(1858)年5月15日に永御暇となった旨が朱で追記され、 命助に関する記事全体が朱線で囲まれている。
 なお、御勘定所「雑日記」の18日条には、二条家家来三浦命助が親類の大槌通栗林村百姓佐馬之介方に 逗留する旨の大村弾正(御使番席)・関口監物・大塚要人・入江伊織(以上御側席)4名連署による 森(盛)岡御城内御用人中宛て添え状が白木状箱に入れ与えられたことが記されているが、 横川良介が「内史略」で、「此箱の中何なるや不聞」と注記した、 命助持参の封印された状箱の中味はこの添状であったと考えてほぼ間違いないであろう。
 また、「駄賃帳並船切手渡留」17日条には、命助に下付された駄賃帳の割り印や、 「帰国用意」との注記を見る事ができる。 逃亡の身であった命助が、二条家家来三浦命助として何よりもまず望んだことは、 故郷への帰村・逗留であった。 二条家家紋下り藤の入った小田原提灯、二条家御用絵符はそれを保証してくれるものであるはずであった。

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御家来列御館入御出入等願書親類書申渡御請書等留(命助願出)




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御家来列御館入御出入等願書親類書申渡御請書等留(命助願出) 画像

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