文学部古文書室展示会
資料番号
史料名
形態
法量
時代
4
相州戸塚宿寄人馬割帳
竪帳
縦25.6㎝×横17.2㎝
正徳元(1711)年6月
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相州戸塚宿寄人馬割帳 解説

展示資料4
 相州戸塚宿寄人馬割帳 竪帳 縦25.6㎝×横17.2㎝ 正徳元(1711)年6月

  当初朝鮮通信使が日本国内を通行する際の継送人馬役は、通常の街道・宿場の助郷と同様、宿場近傍の郷村に人馬を負担させる形で行われていた。その後、享保4(1719)年の通信使来日より、畿内から武蔵国まで16ヶ国に負担を命じる国役金として貨幣納の形で賦課されることとなった。本資料は貨幣納に変更となる前、正徳元年に徳川家宣将軍襲封祝賀のため来日した朝鮮通信使における人馬提供の様子を記した文書である。相模国鎌倉郡戸塚宿(神奈川県横浜市戸塚区)には、戸塚、藤沢、保土ヶ谷三宿にそれぞれ人足100人、馬100疋ずつを集めるよう命じられ、周辺の村々に村高(課税対象となる石高)に応じて人足・馬が割り当てられている。文書末尾には、「朝鮮人来朝三使」と題して、通信使の三使(正使・副使・従事官)の官職・氏名や通信使一行の従者の内訳・人数(計492人)が記載されており、さらに「朝鮮人道中御馳走諸大名并御賄方御代官」として、通信使来日時の往復の宿所と日程、宿所での御馳走役の大名や御賄・人馬割などを担当する代官の名前が記されている。村々でも、このような通信使来日に関する情報を把握していたことがわかり、興味深い。


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相州戸塚宿寄人馬割帳

(表紙)
  相刕<(州)>戸塚宿寄人馬割帳
                倉田村
                 金子半左衛門
                       房義
(展示ページ)
   [未翻刻]


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相州戸塚宿寄人馬割帳

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