古文書室展示会 資料28:薩摩國大嶋喜界両嶋奉行記
文学部古文書室展示会
資料番号
史料名
形態
法量
時代
28
薩摩國大嶋喜界両嶋奉行記
横半帳
縦13.4㎝×横20.1㎝
厚さ2.3㎝
天保11(1840)年頃
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薩摩國大嶋喜界両嶋奉行記 解説

展示資料28
 薩摩國大嶋喜界両嶋奉行記 横半帳 縦13.4㎝×横20.1㎝ 厚さ2.3㎝ 天保11(1840)年頃

  (奄美)大島・喜界島地方(鹿児島県奄美市・同県大島郡喜界町)は、幕末に至るまで「琉球道之島」と表現され、展示資料1にも見られるように、一般的には「是ヨリ琉球ノ地」と認識されていた。しかし、実際には、慶長14(1609)年、島津の琉球侵攻により中山王朝の支配から切り離され、薩摩藩の直轄地として、慶長18(1613)年以降明治維新に至るまで、奉行(代官)、附役、横目などの役人が鹿児島から派遣されていた。本資料は、喜界島代官が大島代官から分かれた元禄6(1693)年以降も、題箋の通り、大島・喜界島両代官に関わる記録が天保11年迄併記されており、鹿児島県立図書館などに架蔵されている近代に入ってから作成された他の関連諸写本には見られない特徴を持つ。
  文政4(1821)年には、宝島(鹿児島県鹿児島郡十島村)にイギリスの「海賊船」が来航し、島詰めの役人が異人一人を射殺するといった事件が起き、鹿児島から加勢の軍勢が送られたという記録が見られる。これまでの島津と琉球の関係に、新たな関係が生まれてきていることが記されている。


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