文学部古文書室展示会
資料番号
史料名
形態
法量
時代
13
(乍恐書)付ヲ以訴訟奉申上候(朝鮮人来日の国役金に付)
一紙
縦28.0㎝×横61.2㎝
明和元(1764)年11月
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(乍恐書)付ヲ以訴訟奉申上候(朝鮮人来日の国役金に付) 解説

展示資料13
 (乍恐書)付ヲ以訴訟奉申上候(朝鮮人来日の国役金に付) 一紙 縦28.0㎝×横61.2㎝ 明和元(1764)年11月

  展示資料12と同じく、明和元(1764)年朝鮮通信使帰国の際の人馬役等を賄うための国役金の賦課について、武蔵国都築郡の村々の名主らが、定助郷・大助郷の村々も含めた共同負担を要望した文書(下書)である。宛先の道中奉行は、五街道と付属する街道や宿場について、道中関係すべてを管轄していた江戸幕府の役職である。「極貧窮之村々」などの言葉により窮状が訴えられている。
  なお、大棚村文書は、八王子千人同心であった平沼佐七家に伝来したものである。八王子千人同心は、甲斐武田氏の旧臣が武蔵国多摩郡八王子(東京都八王子市)周辺に土着したもので、江戸幕府直轄の郷士集団として、主として甲斐との国境警備や江戸の防衛、治安維持などを担当した。


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(乍恐書)付ヲ以訴訟奉申上候(朝鮮人来日の国役金に付)

      □□□<(乍恐書)>付ヲ以訴訟奉申上候
   □□□□□□<(東海道川崎宿)>加介<(助)>郷九ヶ村之者共、乍恐
   左ニ奉申上候、
一、此度朝鮮人来朝帰国之節、人○<馬>高割諸御入用
   其外御賄方為御入用国役金、百石ニ付金三両壱分
   永百廿五文、被 為仰渡候趣、則 御地頭所より
   被 仰付奉畏候得共、右加介<(助)>郷之儀者、古来より
   稀成ル御傳[伝]馬御用之節、定助郷・大介<(助)>郷ニ而、
   不足人馬之儀ハ 御印状ヲ以被 仰付候、
   當[当]分加介相勤メ来り候処、其以後者年増ニ
   差定り候御傳[伝]馬之儀茂加介<(助)>村々ニ而相勤候様
   相成、甚ダ難儀至極仕候、然所、此般国役
   金之儀、川崎宿定介・大介之村々朝鮮人
   御用之人馬差出不申候得共、不及御沙汰ニ、
   加介郷村々江被為 仰付候儀、極貧窮之村々ニ而
   中々難差出、歎敷奉存候、依之御願申上候者、
   偏ニ以御慈悲、定介<(助)>・大助・加介<(助)>之村々惣高一同ニ<(ママ)>
   之御割付ヲ以、国役金被為 仰付被 下置候
   ハヽ、難有奉存候、以上、
                何郡何村
                誰レ御知行所
   明和元年申十一月          名主
                     年寄
  道中
 御奉行所様



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(乍恐書)付ヲ以訴訟奉申上候(朝鮮人来日の国役金に付)

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